弥生時代後期後半の善光寺平では、「箱清水式土器」と呼ばれる土器が盛んに作られました。
箱清水式土器は、甕などを除き、土器の表面を赤く彩色することが特徴で、別名「赤い土器」とも呼ばれます。
その分布範囲は、善光寺平を中心に飯山、佐久、松本地域にまで及び、「赤い土器のクニ」と形容されるほどに独自の生活様式や文化を有する地域圏をつくりあげていました。
なお、『箱清水式土器』という名称は、長野市箱清水にあった旧県立長野高等女学校(現長野西高校)で最初に発見されたことにちなみ、命名されました。
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