さんごうづかにしこふん
三合塚西古墳
- 遺跡群
- 安茂里遺跡群
- 遺跡番号
- C-124
- 種別
- 古墳
- 時代
- 古墳
- 地区
- 安茂里
- 所在
- 安茂里(差出)
- 調査年度
- 2002
- 地図
-
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- 解説
- 三合塚西古墳は、宅地造成に伴い実施した「安茂里遺跡群差出遺跡」の発掘調査で発見された古墳です。調査地内には一瞥して古墳とわかるような墳丘状の高まりはみられず、かつてここに古墳が存在したことやそれが埋没していく経過などに関する記録類も知られていません。南東側約30mの調査対象地外には墳丘がよく残る「三合塚古墳」が位置して一連の古墳群を形成していると考えられることから「三合塚西古墳」と呼称することとしました。
墳丘はすでに削平されていて、調査着手時にもかつての古墳の面影をみることはできませんでした。削平されて埋没した三合塚西古墳の存在が明らかになったのは、調査区南側の壁面で墳丘盛土の一部が確認されたことと埴輪の出土によります。墳丘は礫を全く含まない粘質土が積まれていて、確認された高さは最大で70㎝ほどです。ちょうど墳丘の北側端部付近にあたると考えられ、古墳自体は南側の調査範囲外に存在したと考えられます。埴輪はこの墳丘盛土の外側から出土しています。もともと墳丘上に立て並べられていたものが時間の経過や墳丘の削平などによって崩壊・転落したものです。
出土した埴輪には普通円筒埴輪、朝顔形埴輪、壺形埴輪のほか、盾形埴輪や種別が特定できない器材埴輪の破片があります。また、黒斑(こくはん)と呼ばれる、埴輪を焼く時に炎があたった痕跡がみられ、「野焼き焼成」によって作られたことがわかります。
墳丘の形や規模については墳丘端部のほんの一部が確認されただけですので、確定することはできませんでした。わずかな痕跡を頼りにすると、埴輪片の出土が緩い円弧を描いていることからは円墳の可能性が考えられ、調査区壁面の2点の端部からは概ね直径10mと復元されます。古墳の築造された時期については埴輪が野焼き焼成であることや器財埴輪が含まれていることからは古墳時代中期前半代と考えられます。
三合塚西古墳は、調査区の壁面で墳丘の一部が確認されたに過ぎませんでしたが、盾形埴輪をはじめに複数種類の器財埴輪が立て並べられた中期古墳として長野市域では他に例がない希少な古墳であることがわかりました。