にとろどうくついせき
荷取洞窟遺跡
- 遺跡番号
- K-019
- 種別
- その他
- 時代
- 縄文・古墳
- 地区
- 戸隠
- 所在
- 追通
- 地図
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- 解説
- 荷取洞窟は、戸隠地区追通荷取の県道沿いの、裾花川北岸の断崖中腹にあります。明治27年(1894)、さらに大正3年(1914)の道路工事によって大きく破壊され、現在では洞窟奥部を痕跡的に残すのみとなっています。
昭和8年(1933)に金子富雄氏がはじめて調査し、次いで和田亀千代氏や神田五六氏、金井喜久一郎氏らが遺物の採集、発掘調査を実施しました。昭和29年(1954)には、芹沢長介氏、麻生優氏が踏査し、土器片や石鏃を採集しています。その後、新潟県小瀬ヶ沢洞窟の発掘によって、本洞窟発見の隆起線文土器(りゅうきせんもんどき)が最古の縄文土器の一群として注目されるに至り、昭和36年(1961)頃、小林孚氏、小林達雄氏によって調査が実施されています。
土器は無文土器と有文土器が確認されており、有文土器については、縄文時代草創期の「微隆起線文土器(びりゅうきせんもんどき)」であるとされます。残念なことに本遺跡出土の土器片の大部分は現在は散逸しており、記録以上の詳細は不明です。