まきのしまじょうあと
牧之島城跡
- 指定区分
- 県指定記念物
- 遺跡番号
- N-211
- 種別
- 城館跡
- 時代
- 中世
- 地区
- 信州新町
- 所在
- 牧野島
- 地図
-
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- 解説
- この城は、永禄9年(1566年)武田信玄が馬場信房(美濃守)に築かせ、越後に対する警衛と更級・水内山部の鎮撫にあてた城です。元香坂氏の居城牧城の一部で、天然の要害を利用して新たに縄張りしたもので、虎の口の丸馬出し、本丸脇の隠馬出し(千人桝)をはじめ、諸所に築城の妙を凝らしています。
城の南、西、北の三方を犀川がめぐり、特に南側は断崖となっています。東の一方が山部に続く舌状台地のほぼ中央にあって、東側は南北に走る深谷によって断ち切られています。本丸は東西31間(56.1m)、南北28間(50.7m)、二の丸は東西48間(76.9m)南北22間(39.8m)で、その間を水堀で隔て、本丸北側に桝形があります。天正3年(1575年)馬場美濃守が長篠に戦死後、子信春が在城しましたが、天正10年(1582年)武田氏滅亡後、上杉景勝の属城となり、芋川親正父子等が置かれました。慶長3年(1598年)上杉景勝の会津移封後、海津城主田丸直昌、森忠政等かここを管し、慶長8年(1603年)海津城主となった松平忠輝は、はじめ老臣松平信直に在城させましたが、元和2年(1616年)忠輝が改易(所領没収)されると共に、牧之島城も廃城となりました。築城以来50年で城郭としての機能を失いました。