しどうしおざきちゅうおうせんちてん
市道塩崎中央線地点
- 遺跡群
- 篠ノ井遺跡群
- 遺跡番号
- E-⑤
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世
- 地区
- 篠ノ井
- 所在
- 塩崎(東篠ノ井・上篠ノ井・庄ノ宮・平久保・山崎
- 調査年度
- 1992~1999
- 報告書
- 篠ノ井遺跡群(7)
- 地図
-
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- 解説
- 長野盆地を北流する千曲川流域では、篠ノ井塩崎から篠ノ井横田にかけて大規模な自然堤防の発達と広い後背湿地の形成がみられます。自然堤防上には集落が展開し、後背湿地には水田が広がるという風景は、遺跡の発掘調査によって弥生時代以来現在まで続いていることがわかっています。居住域として利用された自然堤防上には、上流側から塩崎遺跡群・篠ノ井遺跡群・横田遺跡群と遺跡が切れ目なく濃密に連続していることが知られています。これらの遺跡群は自然堤防を開削して千曲川に流れ込む聖川と岡田川という2本の河川によって便宜的に分けられていて、上流側の聖川で塩崎遺跡群と篠ノ井遺跡群に、下流側の岡田川で篠ノ井遺跡群と横田遺跡群に区分されています。つまり、篠ノ井遺跡群は篠ノ井地区の自然堤防上に展開する遺跡のうち、聖川と岡田川に挟まれた区域の遺跡の総称となります。
篠ノ井地区では国道18号線のバイパス建設をはじめとした道路の整備事業が進行していましたが、その一環として主要地方道長野上田線(県道77号線)の北側の現行路線と南側の新設のバイパスを繋ぐ道路が新たに設置されることとなりました。道路計画地はすべて篠ノ井遺跡群の範囲内に該当するため、計画地全面が発掘調査の対象となりました。この新設道路建設に先立って実施した発掘調査に関し、起因事業の名称から「市道塩崎中央線地点」と呼称しています。
市道塩崎中央線地点は自然堤防上のほぼ中央部から後背湿地にかけて自然堤防の北側半分を縦断する位置に当たります。発掘調査は平成4年度・平成9年度・平成11年度の3カ年で実施されました。調査された遺構は、竪穴住居・土坑・小穴・溝・井戸などのほか、井戸を転用した馬の埋葬土坑が確認されています。出土した遺物には、弥生土器、土師器、須恵器などの土器類のほか、石製品、鉄製品、土製品があり、弥生時代から平安時代にかけての居住域の一端が明らかとなりました。遺構の分布状況は南側に住居跡が集中し、北側では溝や土坑のみで住居跡はみられなくなります。これは住居跡が集中する南側は居住条件が良く、区画や排水などの機能を有した溝や土坑のみになる北側は後背湿地へと徐々に移行する低湿な環境下にあるためと考えられます。洪水砂の堆積はそれほど顕著ではありませんでしたが、仁和4年(888)の仁和の大洪水によって甚大な被害を受けたようで、9世紀末以降は中世に井戸が掘られたことが確認できる程度です。
特筆される出土遺物としては琴柱形石製品があります。中世の井戸の壁中からの出土ですが、古墳時代前期の所産と考えられ、県内では当例のほか鬼釜古墳(北安曇野郡池田町)出土品があるのみの珍しい石製垂飾品です。
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