よつやさいしいせき
四ツ屋祭祀遺跡
- 遺跡番号
- F-001
- 種別
- 祭祀跡
- 時代
- 古墳
- 地区
- 松代
- 所在
- 松代町清野(道島)西沖
- 地図
-
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- 解説
- 松代町清野の千曲川右岸自然堤防西端部に位置する祭祀遺跡で、昭和32(1957)年、清野小学校で防火用貯水池を掘削中に円筒埴輪列が出土したことで発見されました。当時教頭だった高野行栄先生により急きょ発掘調査が行われた結果、弧状に配列された円筒埴輪と、その内側から土師器のはそうと高杯、須恵器の把手付椀が出土しました。これらの出土遺物については、墳丘や周溝が見られない点、平地に立地する点で他の古墳とは様相が異なっていましたが、古墳に伴うものと考えて「四ツ屋古墳」として報告されました。
昭和47(1972)年、埴輪列北側の畑の天地返しに立ち会った考古学者の森嶋稔は、弧を描く幅1.5mの黒色土帯を確認し、貯水池の南側を巡る直径約20mの円形周溝の存在を推定しました。この時に出土した遺物はありませんでしたが、同じ畑から鶏形埴輪の頭部が採集されたことがのちに確認されています。森嶋は、善光寺南縁では4・5世紀に自然堤防上に築造された古墳がまったくないこと、円形周溝中央部から遺物・遺構が出土しなかったこと、遺物が周溝に沿った一部分にしか存在しないことがこの地の高塚古墳と大きく異なると考え、一連の遺構・遺物はある種の祭りを指向したものと捉えました。
現在の遺跡名はこの森嶋の見解を踏まえたものですが、対岸の自然堤防上に立地する塩崎遺跡群や篠ノ井遺跡群では、墳丘が削平されて周溝だけが残った同時期の古墳が近年の調査で見つかっており、本遺跡を古墳でないと考えた当時の根拠は覆されつつあります。今後の調査・研究により、遺跡の性格がよりいっそう明らかにされることが期待されます。