かたやまいせき
片山遺跡
- 遺跡番号
- G-022
- 種別
- 散布地
- 時代
- 古墳
- 地区
- 若穂
- 所在
- 若穂保科(上和田)和田
- 地図
-
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- 解説
- 国内でも類を見ない「挙手人面土器」が出土した遺跡で、長野盆地の東にそびえる奇妙山から北西に伸びる支脈の東麓に形成された小規模な崖錐の中腹に位置します。挙手人面土器は、昭和22年(1947)5月末、同所に所在する段々畑から、土地所有者の家人によって発見されました。
発見者に聞き取り調査を行った國學院大學の永峯光一氏の報告(永峯光一1953「長野県上高井郡保科村片山発見異形土師器の出土状態に就いて」『信濃』Ⅲ期-第5巻-第1号)によれば、出土状況の概要は次の通りです。畑の縁に40~50cm頭を出していた長さ1m、幅60cmの安山岩の柱状石を引き抜いた際、最初に数点の土師器壺片が出土しました。付近を入念に調べると、西傾して埋まっていた柱状石の陰になる位置の地表下30cmの粘土中から、挙手人面土器と複数の土師器が同一平面上に南北に並んで見つかりました。北端の挙手人面土器は、うつぶせで顔を北に向け、それに続いて高杯などの複数の赤色塗彩された土師器が折り重なるように一列に並び、南端で最初に見つかった土師器壺片にいたります。
挙手人面土器に注目し、永峯氏に聞き取り調査を命じた國學院大學の大場磐雄氏は、挙手人面土器の底部に認められる籾痕から、これらの土器群を新穀に対する祭儀に使用したものと想像しました(大場磐雄1953「挙手人面土師器覚書」『信濃』Ⅲ期-第5巻-第1号)。また、挙手人面土器とともに出土した土師器群の実測図および観察所見が近年発表され(小林理恵2001「挙手人面土師器と伴出した土師器について」『國學院大學考古学資料館紀要』第17輯)、小型壺2点・壺3点・高杯6点・器台1点のうち壺を除く器種が赤色塗彩されていること、多くに外来系の要素が認められること、古墳時代初頭(4世紀中葉)に位置付けられることなどが報告されました。
挙手人面土器の特殊性から、片山遺跡は古墳時代の祭祀に関連した場所であったと考えられます。ただ、片山地籍にはかつて多数の積石塚古墳が存在し、挙手人面土器出土地点周辺にも当時複数の大石が点在していたこと、素環頭大刀が出土した片山古墳が南西に現存していることを考慮すれば、これらの遺物群が古墳に関わっていた可能性も想定する必要があります。
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