- 解説
- 古城跡は若穂川田の町川田地籍に位置し、奇妙山から北西に延びる標高533mの古城山山頂にあります。尾根先端には大室18号墳が所在し、眼下には川田宿や川田条里遺跡が、遠く目を向けると善光寺平が一望できます。
主郭は長方形を呈し、南側に土塁、北東側に虎口が残っています。主郭から延びる北尾根と北西尾根は、虎口に入るための城内道と考えられています。曲輪が階段状に配置されるほか、北には竪堀を、北西には堀切を設けるなど、敵の攻撃に備えていたことがうかがえます。また、主郭背後には連続堀切がみられ、なかには上幅10m、深さ7mでV字断面形を呈する薬研掘り(やげんぼり)の空堀も掘削されています。
この城跡は天文年間(1532~1555)に武田氏が築いた砦とされていますが、川田対馬守の居城であるともいわれています。川田対馬守は村上氏の家臣で、天文22年(1553)に武田氏に敗れた村上義清が、上杉謙信を頼って越後に逃れた際、川田対馬守もこれに従い上杉家の家臣となりました。領家地籍にある川田小学校の南には「古城」「古屋敷」などの字名が残っており、このあたりに川田氏の館があったと考えられます。古城は、この館の背後を守るための城だったのかもしれません。
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