とぐるま
戸車
- 遺跡群
- 長野遺跡群
- 遺跡・地点
- 西町遺跡
- 時代・時期
- 近世
- 地区
- 長野
- 所在
- 長野西町西町
- 調査年度
- 1995~1996
- 報告書
- 西町遺跡
- 地図
-
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- 解説
- 1.戸車とは
戸車は江戸時代に引戸の車輪として使われたものです。出土した白磁の戸車は、九州地方の焼物である伊万里焼の生産技術の中で生まれました。江戸時代後期(18世紀後半)、伊万里焼の産地では、蛇の目凹形高台(じゃのめおうがたこうだい)の器の下に窯道具として厚さ2cm弱の平らなドーナツ形の粘土をはさむようになり、焼成後に戸車として出荷しました。戸車は器と接する面には釉薬を塗らず、レールに接する面には釉薬を塗って戸車がスムーズに転がるようにしていました。
2.窯道具
窯で陶磁器を焼くときは製品にかけた釉薬が熱で溶けるので、ただ製品を窯詰めするだけでは接着してしまいます。また大きな皿や鉢のように重さがある製品は焼く時に変形しやすいため、製品の間や製品の下に粘土のかたまりや砂などをはさむことで予防していました。このように窯詰めに使うものを窯道具といい、生産地では一度にたくさんの製品を焼くために、効率の良い窯詰め法が研究され、産地ごとに窯道具の形や名前が異なりました。
3.蛇の目凹形高台
製品にも効率よく生産するための工夫がみられます。18世紀半ばから現れた蛇目凹形高台は器の裏の高台内を蛇の目状に釉薬を塗らずにチャツやハマという窯道具をあてて焼いていましたが、18世紀後半には戸車も窯道具に使用されるようになりました。戸車も蛇目凹形高台の器も江戸後期の遺跡ではよく出土しています。
佐賀県立九州陶磁文化館2007『古伊万里の見方 シリーズ4 窯詰め』
九州近世陶磁学会2000『九州陶磁の編年』