こせとてんもくちゃわん
古瀬戸天目茶碗
- 遺跡群
- 長野遺跡群
- 遺跡・地点
- 西町遺跡
- 時代・時期
- 中世
- 地区
- 長野
- 所在
- 長野西町西町
- 調査年度
- 1995~1996
- 報告書
- 西町遺跡
- 地図
-
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- 解説
- この天目茶碗は、1辺2m程度のやや四角い穴から6点の土器皿や中国(北宋)銭とともに出土しました。14世紀後半の室町時代前期に現在の愛知県瀬戸市を中心とする尾張瀬戸窯で焼かれた製品です。
天目茶碗は中世から近世にかけて流行した茶の道具である陶磁器、「茶陶」のひとつです。「天目」の名称は中国に留学した僧が浙江省北部にある禅寺天目山から持ち帰ったことに由来します。建窯に代表される中国福建省の各窯で生産され、日本では中国からの輸入品を意味する「唐物」の代表格として大変もてはやされました。器の内面に広がる斑紋の違いから耀変(ようへん)・油滴(ゆてき)・禾目(のぎめ)などの呼び名がつけられ、国宝に指定されている天目茶碗もあります。
茶は平安時代にはすでに日本に伝えられていました。しかし現在の茶道に通じる喫茶の風習は鎌倉時代の禅僧により中国から持ち込まれたものです。喫茶は寺院に留まらず上流階級にも広まります。武士の儀礼の中にも喫茶が取り込まれ、それに使用される天目茶碗も需要が高まっていきます。このような流れの中で、瀬戸窯では中国の天目茶碗をまねて14世紀初め頃生産を始めます。城館遺跡や都市遺跡を中心に全国で出土し、現在では喫茶をたしなむ階層の存在を示す出土品の一つとして評価されています。