まゆみだいせき
檀田遺跡
- 遺跡群
- 浅川扇状地遺跡群
- 遺跡番号
- A-035
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世
- 地区
- 若槻
- 所在
- 檀田
- 調査年度
- 1990
1997~2002
2002~2003
2003
- 参考資料
- 発掘された長野市の遺跡
- 地図
-
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- 解説
- 檀田遺跡は長野市若槻地区檀田地籍にある集落遺跡です。これまでに、平成2年度(1990年度)の北長野ゴルフセンター建設に伴う調査(第1次調査)と、平成9~15年度(1997~2003年度)にかけて檀田土地区画整理事業に伴う一連の調査(第2次調査)が実施されており、縄文時代から中世にかけて断続的に営まれたことが判明しています。特に、土地区画整理事業に伴う第2次調査は、52,600㎡という広大な範囲を調査したもので、各時期で重要な成果が挙げられています。
縄文時代は中期後葉を主体として集落が営まれており、竪穴住居18軒が検出されました。このうち、63区2次面 SA1からは、琥珀玉と市内最大級の土偶(どぐう)が出土しています。また、E区2次面北西では、環状列石(SN1)が市内で初めて発見されました。
弥生時代では、中期後半と後期にそれぞれ集落の盛期があったと考えられ、それぞれ41軒、70軒の竪穴住居が検出されています。中期後半では、礫床木棺墓を主体とする9基の木棺墓が密集して構築された墓域が検出されており、各木棺墓間には規模や配置に均一性が認められることから、この墓域は集団墓地的な性格であったと考えられています。一方、弥生時代後期になると円形周溝墓を主体とする墓域が形成されます。これらの円形周溝墓には、銅釧(どうくしろ)や鉄釧(てつくしろ)、ヒスイ製勾玉(まがたま)など、希少価値の高い副葬品が伴っており、被葬者の地位の高さを窺わせます。また、北陸地方に由来をもつ土器が多く出土しており、北陸地方との強い結びつきがあったことが想定されます。
古墳時代では、前期から中期で20軒、後期で90軒の竪穴住居が検出されています。中期後半から後期前葉には集落の断絶期があり、同時期に最盛期を迎える本村東沖遺跡へ人々の営みが移動したと推察することもできます。
平安時代以降では竪穴住居は検出されておらず、遺物の出土量も相対的に少なくなります。ただし、第1次調査や隣接遺跡では該期の居住域が確認されており、周辺には継続して集落が存在したものと考えられています。なお、16区2次面 SD1からは文字の書かれた墨書土器が2点出土し、そのうちの1つには「有」の文字が判読されました。これが現在の檀田地籍に残る字名「有無」の一部だとすれば、9世紀代までその存在がさかのぼることになり、注目されます。
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