よしだこうこうぐらんどいせき
吉田高校グランド遺跡
- 遺跡群
- 浅川扇状地遺跡群
- 遺跡番号
- A-063
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 弥生
- 地区
- 吉田
- 所在
- 吉田2丁目 広町
- 調査年度
- 1970
1975~1976
1985
1999
- 地図
-
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- 解説
- 吉田高校グランド遺跡は、その名のとおり吉田高校の敷地を中心に広がる弥生時代後期の集落遺跡です。
昭和45(1970)年、同校敷地内のプール建設途中で多量の土器などが出土したことから、「長野吉田高校グランド遺跡」として知られるようになります。
このとき出土した土器を笹沢浩氏が分類、分析した結果、いちじく形の壷や口縁端部に縄文を施した甕など、弥生時代中期の栗林式に一部類似する点を持ちながら、土器の表面を赤色に塗彩したものや、櫛状の工具でつける櫛描文が施されたものなど、弥生時代後期後半の箱清水式によく見られる特徴も持ち合わせていることがわかりました。これらの土器は、弥生時代中期の栗林式土器から弥生時代後期後半の箱清水式土器への中間形態と考えられ、笹沢氏によって「吉田式土器」と命名されて、弥生時代後期初頭の一型式として型式設定されました。
その後、昭和50(1975)年の長野市都市計画北部都市下水路事業に伴う発掘調査を1次調査として、これまでに4次にわたる発掘調査が行われています。
1次調査はグランドの下水路埋設部分のため調査範囲は狭かったものの、6軒の吉田式期の住居跡が確認されました。
2次調査は校舎南側からテニスコート東側にかけての下水路埋設部分で、ここでは遺構は確認されていません。
3次調査は同校の体育館と格技室建設部分であり、本遺跡で初めて面的に行った調査となりました。約1,100㎡の調査区からは吉田式期の住居跡10軒が重なり合うことなく見つかっています。土器も比較的多量に出土し、吉田式土器の型式内容がより具体的になりました。
4次調査は3次調査の西隣であり、吉田式期の住居跡17軒が3次調査と同様、ほとんど重なり合うことなく見つかりました。このことから、3次調査の住居群を含めたこれらの住居群は単一の集落であったと考えられます。また、特筆すべき資料として、東北地方に分布する天王山式系土器や、東北地方の南部から比較的多く見つかるアメリカ式石鏃が出土しています。
本遺跡は、それまではっきり把握されていなかった吉田式期の様相を良好な形で伝える当該期の単一の集落であり、長野県内では最も良好な弥生時代後期初頭の集落の調査例と言えるでしょう。また、東北地方に関係する遺物が出土していることから、長野県のみならず東日本全体の弥生時代を考える上でも重要な遺跡であると考えられます。