かござわいせき
籠沢遺跡
- 遺跡番号
- A-097
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 縄文・古墳・奈良・平安
- 地区
- 古里
- 所在
- 三才籠沢
- 調査年度
- 2008~2011
- 参考資料
- 「古代の三才を探る。」
- 遺跡ってなぁ~に?―発掘調査からわかること―
- 「古代の三才を探る。」Ⅱ
- 長野の歴史を掘る―今、よみがえる籠沢ムラ
- 「古代の三才を探る。」Ⅲ
- 発掘された長野2010
- 「古代の三才を探る。」Ⅳ
- 籠沢遺跡と昔の役所の道具~発掘された長野2011~
- 地図
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- 解説
- 長野市古里地区三才地籍に位置する籠沢遺跡は、(仮称)北部地域スポーツ・レクリエーションパーク建設事業に伴い、平成20年度から平成23年度まで4年間にわたって発掘調査が実施されました。調査の結果、縄文時代から平安時代までの竪穴住居跡が170軒以上発見されています。ただし、縄文時代後期から弥生時代にかけては、一旦集落が断絶してしまったことが分かっています。
再び集落が営まれ始めた古墳時代初頭の住居跡からは、東海地方(伊勢湾沿岸地域)の影響を受けた「パレススタイル壷」や「S字状口縁台付甕」が出土しており、これらの地域と関係の深い人々が、集落の成立に関わっていたと考えられます。また、7世紀末ころの住居跡からは、「円面硯」とよばれる須恵器の硯が出土しています。
籠沢遺跡の周辺には、古墳時代の農耕祭祀遺跡として著名な駒沢祭祀遺跡や、周辺を統治した豪族の墓である三才前方後円墳(全長約47m)、さらには律令制東山道支道の多胡駅と推定される三才田子遺跡など、善光寺平の古代史を探るうえで重要な遺跡が多く存在しています。籠沢遺跡はこれらの遺跡と同時期に存在した集落遺跡であり、それぞれ深い関係を有していたと想定されます。