ゆや1ごうふん
湯谷1号墳
- 遺跡群
- 湯谷東古墳群(7基)
- 遺跡番号
- A-110-1
- 種別
- 古墳
- 時代
- 古墳
- 地区
- 長野
- 所在
- 上松(湯谷)
- 調査年度
- 1973
- 地図
-
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- 解説
- 1974(昭和49)年、湯谷東土地区画整理事業の工事の際、湯谷小学校の北側で7基の円墳が発見されました。そのうち2~7号古墳の6基は水田耕作などによって既に削り取られていてほとんど残っていませんでしたが、2号古墳だけは公園内の地下に今も保存されています。
1号古墳は直径11.5m、調査時の高さ2.3mの大きさで、表面はまるで積石塚古墳のように大きな石が混じった土砂で覆われていました。古墳の内部からは、天井石がはずされるなど半分以上壊されていましたが、全長9.3mの横穴式石室が確認されました。死者を埋葬した玄室とよばれる石の部屋は、全長5.1m、最大幅1.45mを測る大きくて細長い形をしています。一番奥の壁には幅1.9m、高さ1.35mの巨大な石を置いています。玄室の床面に敷きつめられた礫石の観察から、少なくとも2回以上の追葬(最初に埋葬した後に、追加で同じ場所に埋葬すること)が考えられます。
埋葬された人骨も頭蓋骨や大腿骨、上腕骨などの一部が発見されました。また土師器や須恵器といった土器が石室の入り口付近から大量に出土しています。
死者と一緒に玄室内に埋葬された副葬品にはさまざまな種類がありました。武器としては、直刀や、刀に付属する圭頭柄頭・鞘尻・鐔・鎺などの刀装具、刀子(小さなナイフ)や鉄の矢じり(鉄鏃)などがあります。馬具(馬に付ける道具)には、轡・鎖・鉸具・帯金具・雲珠などが見つかりました。装飾品としては、耳飾りの金環・銀環や、首飾りの勾玉・ガラス小玉・臼玉・垂玉などがありました。
古墳の築造時期は6世紀末頃と考えられますが、追葬されたりして古墳群が機能していた期間は8世紀初頭ごろまで、長い間墓地として使われていたようです。
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