いわさきいせき
岩崎遺跡
- 遺跡群
- 綿内遺跡群
- 遺跡番号
- G-010
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 弥生・奈良・平安・中世
- 地区
- 若穂
- 所在
- 若穂綿内(岩崎)西岩崎・東岩崎
- 調査年度
- 1991
1994
2000
- 報告書
- 岩崎遺跡
- 川田氏館跡・岩崎遺跡Ⅱ
- 地図
-
サイトが別ウィンドウで開きます。
「同意する」ボタンを押すと地図が表示されます。
- 解説
- 岩崎遺跡は、千曲川旧河道に挟まれた東西に延びる帯状の微高地に立地する、奈良時代から中世までの集落遺跡です。平成3年(1991)に綿内保育園改築事業、平成6年(1994)に綿内小学校プール改築事業、平成12年(2000)に同体育館改築事業にともないそれぞれ発掘調査が行われました(以下、「保育園地点」「プール地点」「体育館地点」と記載)。
保育園地点は微高地北西部に位置し、平安時代前期の住居跡3軒と土坑・溝、中世の土壙墓2基などを確認しました。平安時代の1号住居跡から出土した須恵器杯・土師器杯には墨書が多数認められました。中世の土壙墓からは横臥屈葬(脇腹を下にして膝を胸まで折り曲げる埋葬法)の人骨が検出され、1号墓が壮年男性、2号墓が熟年女性と鑑定されています。
プール地点は微高地の中央南側に位置します。奈良時代末~平安時代前期のものとみられる掘立柱建物2棟と土坑・溝などが検出されたのみで、居住に関わる施設は確認されていません。
体育館地点は微高地南西部に位置します。1次面・2次面合わせて住居趾22軒・井戸5基・土坑86基・溝20条などが確認され、中世に比定される一部の住居跡・土坑を除けばほとんどが平安時代前期~中期に属しています。
岩崎遺跡の北側を画する旧河道を挟んだ対岸の微高地には奈良時代から平安時代にかけて226軒の住居跡を検出した高野遺跡があり、体育館地点・保育園地点で見つかった平安時代の集落は高野遺跡の集落を母村とする枝村であった可能性があります。