みやざきいせき
宮崎遺跡
- 遺跡番号
- G-021
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 縄文
- 地区
- 若穂
- 所在
- 若穂保科(上和田)中道南
- 調査年度
- 1985~1987
1994
1995
1996
1998
1999
- 報告書
- 宮崎遺跡
- 地図
-
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- 解説
- 宮崎遺跡は、長野盆地南部の若穂保科に位置し、保科川と赤野田川によってつくられた複合扇状地に立地する縄文時代中期後半から晩期に営まれた縄文集落です。三方を山に囲まれる一方、北西に向かって広がった扇状地の先には、現在の千曲川と犀川の合流部を
望むことができます。昭和60・62年(1985・1987)に発掘調査が実施され、住居や墓地などが発見されたほか、多量の土器や石器、様々な装飾品が出土し、市内を代表する県内有数の縄文遺跡であることが判明しています。その後も立命館大学による継続的な学術調査が行われ、貴重な発見が相次いでいます。
宮崎遺跡1号住居跡の床下からは、黒曜石の石塊を隠すように納めた深鉢が見つかっており、宮崎ムラの人々が遠方より入手した黒曜石を大切に扱っていた様子が窺えます。
そのほかヒスイで作られた垂飾(たれかざり)や蛇紋岩で作られた磨製石斧(ませいせきふ)、サメの椎骨を利用した耳飾など、宮崎遺跡の周辺では手に入らないもので作られた遺物が多く出土しており、それぞれ他のムラとの交流によってもたらされたものと考えられます。
宮崎遺跡から出土した遺物のうち、特に目を惹くものに土製耳飾が挙げられます。土製耳飾は縄文時代の後期から晩期にかけて盛んに作られた「ピアス」で、宮崎遺跡からは長野市調査分だけでも130点以上の土製耳飾が出土しています。中には透かし彫りのような精緻なデザインが施されたものや、赤色顔料によって彩色されているものもあり、縄文人の美意識の高さを伝えています。
また、3号石棺墓では、埋葬された人骨頭部の耳の辺りに接して土製耳飾が出土し、土製耳飾の着装例を示す事例を確認しています。