みやいせき
宮遺跡
- 遺跡番号
- O-016
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 縄文・弥生・古墳・平安
- 地区
- 中条
- 所在
- 中条2097-1
- 地図
-
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- 解説
- 宮遺跡は、土尻川の河岸段丘上に位置し、東西500m、南北300mの広がりをもつ広大な遺跡と推定されます。昭和48年(1973年)に中条村教育委員会が調査団を組織して発掘調査を行いました。
その結果、北信地方では珍しい縄文時代中期末葉(約4,000年前)から、縄文時代晩期(約2,800年前)にかけての竪穴式住居跡や墳墓跡、集積遺構、などが発見されました。
縄文時代晩期の第1号墳墓跡には、2体の人骨が埋葬されており、ほぼ完全な形で発掘されました。2体の人骨はそれぞれ壮年男子と若年男子のもので、このうち壮年人骨(1号人骨)には抜歯の痕跡が認められるなど、貴重な資料として評価されています。また、遺跡からは翡翠(ヒスイ)の原石や半製品などに加え、舞きりの弾み車と考えられる球状土製品が出土しており、遺跡内で玉づくりが行われていたことが明らかとなりました。
平成3年には教員住宅建設に先立って試掘調査が実施され、古墳時代から平安時代にかけての遺物も確認されています。
これらの調査により、宮遺跡は西山地区を代表する原始・古代集落であることが判明し、現在では長野市の史跡に指定されています。また、昭和48年に発掘調査された範囲は、平成10年に中条村教育委員会によって宮遺跡公園として整備され、竪穴住居跡などが復元されています。