指定文化財詳細

もくぞうでんかんのんぼさつりゅうぞう

木造伝観音菩薩立像

指定区分
県宝 
地区
安茂里 
所在
長野市大字安茂里 
年代
藤原時代初期 
指定等年月日
昭和34年11月9日
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解説
 正覚院の名より窪寺(くぼでら)観音の名で知られているこの寺は、天台宗慶紫山月輪寺正覚院の跡という。月輪寺の名は『吾妻鏡』の中で文治2年(1186)の条に初めて見え、寺伝では天安2年(858)に慈覚大師が開いたと伝えており、寺の創始は非常に古い。のち衰微していたが、元和年間(1615~1624)に良秀が妻科村後町の正覚院から移って再興し、真言宗に改めたという。
 本像は像高181㎝。榧(かや)材を用いた一木(①いちぼく)造りで、両肩を矧(は)ぎ付け、背(②せ)刳(ぐ)りを施して背板でふさぐ。両腕は後補である。

 頭・体部の肉取りは厚く正面を直視する像容は堂々として天平(てんぴょう)彫刻の系統をひくかと思われる古様の仏像だが、裳(③も)の折り返しの先端がとがっていることや、衣文の構成などは藤原時代初期にかかるもので、信濃最古の木像である松代町清水寺の古仏に次ぐものとして注目すべき像である。
 観音と伝えるのみで何の像であるかはっきりとはわからないため「伝(でん)観音」として指定された。なお、正覚院にはこの像のほかにも千手(せんじゅ)観音・薬師如来・毘沙門天(びしゃもんてん)・仁王などの古像があったが、散逸したという。

注① 一木(いちぼく)造り・・・像の頭部と体部の主要部を一材から彫り出す木彫の技法。平安初期以前の木彫像はほとんど例外なく一木造りである。
注② 背刳(ぐ)り・・・・一木造りの干割れを防ぐため、内部を刳り抜いて空洞にすることを内刳りといい、背中から孔をあけて内刳りしたものを背刳りという。
注③ 裳(も)・・・・・・腰から下につける衣