げんせきじんじゃほんでんおよびむなふだ
源関神社本殿及び棟札
- 指定区分
- 市指定有形文化財
- 地区
- 松代
- 所在
- 長野市松代町豊栄
- 年代
- 1405年(室町時代、応永12年)
- 指定等年月日
- 昭和44年9月10日
- 地図
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- 解説
- 源関(げんせき)神社は松代町から上田市真田町に通じる地蔵峠道のふもとの集落、関屋の中ほどにある。この道は古くから小県・佐久・上州に通じていた重要な交通路で、江戸時代は善光寺参詣の間道(かんどう)であり、商荷(あきないに)の通過も多かった。
この神社は、古くこの地に土着した諏訪の神氏の一族である関屋氏が奉斎したものと思われる。本殿は覆屋の中にあり、一間社(いっけんしゃ)流造で、屋根は板葺きとし、母屋に丸柱、向拝柱に大面取り角柱を用いる。
母屋の柱上には舟肘木(ふなひじき)をおき、妻飾りは豕扠首(①いのこさす)としている。正面は幣軸付き板扉を付け、三方を板壁とし、周囲に切目(きりめ)縁を回す。向拝は角柱に木鼻付き頭貫(かしらぬき)を通して、組物は連三ッ斗(つれみつど)をおき、母屋柱と向拝柱を繋虹梁(つなぎこうりょう)でつないで、正面に3段の木階を付ける。
屋根は補修しているが、妻虹梁の弓眉切、舟肘木の形も古様で、向拝柱の見付(正面から見えるところ)も大きく、頭貫の木鼻の花文の飾りも珍しい。
また、ここの棟札(むなふだ)は、長さ106㎝、上幅17.2㎝、下幅16.3㎝で、応永12年(1405)、関屋市兵衛が本願主となって、大工田中新左衛門以下の名が書き連ねてあり、造立の趣旨を明らかにしている。
注①豕扠首(いのこさす)・・・切妻や入母屋の妻の三角形の部分の飾りの一種。
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