さなだのぶゆきのはか
真田信之の墓
- 指定区分
- 市指定記念物
- 地区
- 松代
- 所在
- 長野市松代町柴
- 年代
- 1658年(万治元年)
- 指定等年月日
- 昭和42年11月1日
- 地図
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- 解説
- 大鋒寺(だいほうじ)の墓域にあって、扉の付いた門と塀に囲まれた一角に建てられている。高さ3.3mの宝篋印塔で、塔身の正面に「大鋒寺殿徹巌一当大居士」、その下の基礎の正面には三行書きで、中央に「骨頭片々即法身」、右に「万治元戌年」、左に「十月十七日烏」と陰刻されている。
真田信之は松代真田藩の始祖で、真田藩の基礎を固めた藩主である。元和8年(1622)10月、上田城から移封され、埴科・更級・水内・高井の四郡10万石を領知し、名君とうたわれた。
明暦2年(1656)10月、家督を子の信政に譲って近臣とともに柴の館(いまの大鋒寺の地)に隠居し、2年後の万治元年(1658)、93歳で死去した。
信之の墓碑はその後まもなく建立されたものと思われる。かたわらには、信之の後を追って自殺した家臣鈴木右近の墓碑も建てられている。また、文政7年(1824)3月、8代藩主幸貫によって石灯篭(とうろう)と石鳥居が新しく造られた。
なお、大鋒寺は信之の法号によって柴の館をそのまま寺としたとも、館の用材を使って改築したものともいわれる。
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