指定文化財詳細

やつはしりゅうそうきょく

八橋流筝曲

指定区分
市指定無形文化財 
地区
松代 
所在
長野市松代町松代 
年代
江戸時代初期 
指定等年月日
平成15年8月11日
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解説
 八橋流筝曲は、江戸時代初期に八橋檢校が筑紫流と雅楽を組み合わせ創始した流派で、13曲からなる組物と段物によって成立しており、女性音階の筝で演奏することが特徴的である。古八橋流・新八橋流などがあったが衰退し、現在は松代に伝えられた系統のみが残っている。
 松代には八橋檢校に直接筝を学んだ2代目藩主信政側室のお伏(二代目お通)により伝えられ、上級武家の子女達は厳しい規律のもと、これを習った。
 その後の伝授は8代藩主幸貫の命により、禰津家の千勢、その娘横田喜尾、伊豫、その娘真田由婦(志んの祖母)へと伝えられた。
 明治以降、武家社会の没落により筝曲八橋流は衰え、戦後には継承者が途絶えたと思われたが、真田志んが純粋で正確な弾法の伝承者であることが分かり、志んによって筝曲八橋流は再興された。昭和44年には国の無形文化財に選択され、志んはその保持者の認定を受けた。また、志ん亡き後は志んの娘淑子が八橋流をさらに明確なものにし、長野市指定無形文化財に指定され、淑子はその保持者の認定を受けた。
 淑子が亡くなったことにより、宗家は消滅したが、門下生によりその特色ある筝曲を厳格に伝承している。
 真田志んが八橋流筝曲の再興と伝承に尽力したこと、また真田淑子がこれをより明確なものにしたことは非常に重要な、価値あることである。
 以上のように、日本の芸能史上、また長野市の文化を知るうえで貴重であることから平成15年8月11日、長野市指定無形文化財に指定された。 

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