- 解説
- 海野家は真田重臣の中でも上級に属した家格で、重要な役務に就いていた。同家に伝わる古文書中、指定されたものは竪紙2・折紙26・切紙1・継紙1の合計30通である。そのほとんどが真田信之に仕えた海野三左衛門・同喜兵衛・同宮内の三代にわたる宛行状(①あてがいじょう)・朱印状(②)・判物(③はんもつ)で、うち10通は上田時代のもの、20通は松城(④)へ移ってからのものである。
文書の内容は慶長十九年(1614)の越後高田城の普請、海野家の地方(じかた)知行(ちぎょう)、松城領山中麻、料所の夫伝馬、寛永十五年(1638)の島原の乱のことなど、29通が真田信之時代のもので、天和三年(1683)の越後国高田領検地関係の文書は、真田幸道八度にわたる幕府課役のひとつで、価値の高い歴史史料である。
注①宛行状(あてがいじょう)・・・・・「あておこないじょう」とも読む。家臣に知行を給与する際に出した文書。
注②朱印状・・・・・花押のかわりに印章を押した文書で、朱印を用いたもの。
注③判物(はんもつ)・・・・・・書判(花押)をもって所領の宛行や安堵(あんど)を行った文書。
注④松城・・・・・・正徳元年(1711)松代と改めたという。
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