めいとくじもんじょ
明徳寺文書
- 指定区分
- 市指定有形文化財
- 地区
- 松代
- 所在
- 長野市松代町豊栄
- 年代
- 1599年(慶長4年)他
- 指定等年月日
- 昭和56年8月17日
- 地図
-
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- 解説
- 明徳寺(めいとくじ)は豊栄(とよさか)小学校東の山すそにあり、曹洞(そうとう)宗に属している。武田信玄の将で海津城将だった高坂昌信が中興(ちゅうこう)(再び盛んにすること)開基した寺で、昌信の墓もこの寺にある。昌信以後、歴代の海津(松城)城主に崇敬され、城主・家老などから寄進状・禁制(①きんぜい)が出されてあつい保護を受けた。
武田家滅亡後は、上杉景勝が北信濃一円を領有し、その家臣村上景国が海津城主となり、天正10年(1582)10月5日に寺領を安堵(与えたり、約束したり)しているが、この安堵状は現在寺に見あたらない。
指定された文書はその後に出されたものである。慶長4年(1599)の海津城主 田丸直昌の寺領安堵状、次いで松平忠輝老臣などの禁制および寄進状、大久保長安の寄進状・書状など明徳寺が松代城主からあつい崇敬を受けていたことを証する寺あての文書で、折紙5・竪紙2の計7通である。
注①禁制(きんぜい)・・古文書の一形式で制札・禁札ともいう。禁止事項を公示する文書。
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