きゅうさんせんじかんのんどうおよびけいだい
旧山千寺観音堂及び境内
- 指定区分
- 市指定記念物
- 地区
- 若槻
- 所在
- 長野市大字吉
- 年代
- 室町時代~江戸時代
- 指定等年月日
- 平成16年12月7日
- 地図
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- 解説
- 県下で最古の仏像である銅造観音菩薩立像(国重要文化財)を持つ山千寺は、平安時代からの霊山のひとつ戸隠山顕光寺(勧修院-天台宗)の末寺として、戸隠奥院円明院坊融(祐)弘が天文12年(1543)に開基したとされているが、五輪塔などにより実際にはそれ以前から寺院があったと考えられている。永禄4年(1561)前後の越軍による焼失後、武田信玄の援助のもと、家臣の丸子直久が本尊を奉戴し、天正年間(1573~1591)に観音堂を建立したといわれている。
大阿闍梨大僧都法印慶覚(寛延4年《1751》没)が中興開山し、文政4年(1821)に現在の観音堂が建てられた。観音堂は崖の上に石垣を組み、入母屋造の堂に縁を張り出している。明治維新の神仏分離令で善光寺大勧進末寺となり、明治6年(1873)に廃寺となった。
境内には五輪塔、中興開山以降歴代住職の石塔群、石段などが残され、長野市の信仰の変遷を顕著に示している。