おおくらじょうあと
大倉城跡
- 指定区分
- 市指定記念物
- 地区
- 豊野
- 所在
- 長野市豊野町大倉、城山
- 年代
- 戦国時代(戦国末期 )
- 指定等年月日
- 平成17年1月1日
- 地図
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- 解説
- 戦国時代の山城跡。同時期に当地を領有し、長沼館を本拠とした長沼島津氏の詰城として機能した。川中島の合戦の際に使用したという記録が残っている(『色部文書』)。川中島の合戦後廃城となるが、天正10年(1582)武田氏滅亡後、川中島四郡を支配した織田信長の家臣森長可に対して、上杉景勝と手を組んだ芋川荘(現飯綱町芋川)の芋川親正を大将とした一揆が抵抗、大倉古城を修築して籠城した。『信長公記』によると、激戦の末に1,250余人が城外で討ち取られて落城し、城内に残っていた女性や子ども1,000人余りが虐殺された。
尾根上に郭を連続配置し、堀切によって防護しており、堀切の規模は県内最大級である。