- 解説
- 県主塚古墳は大正11(1922)年に病院建設のための石材採集によって消滅しました。このため、墳丘の規模や形態は定かではありませんが、この際出土した遺物群が地元の浅川東条公民館で長きにわたって保管されてきました。この遺物群の中に、馬の口に噛ませる銜(はみ)と手綱に繋がる引手(ひって)から構成される轡(くつわ)が2点あります。2点ともに「大形矩形立聞環状鏡板付轡(おおがたくけいたちぎぎかんじょうかがみいたつきくつわ)」と呼ばれる轡になります。他に馬具は含まれていないことから、本墳には同じ型式の轡が2セット副葬されていたことになります。また、2点の轡のうち1点は左右の引手先の環の鍛接(たんせつ)方法が異なっていて、修理が行われたと考えられています。実際の使用によって破損した箇所を補修しながら使い続けられた実用馬具であることがわかります。
県主塚古墳は墳丘形態や規模、埋葬施設の種別も不明であるうえ、馬具の副葬状態も明らかではありませんが、他の古墳での馬具副葬状況を参考にすると、おそらく、六世紀末から七世紀前半にかけて埋葬された被葬者は2代に渡って轡を所有し、実際に使用したものが副葬されたと考えることができます。