遺跡・地点詳細

だいきぼじてんしゃどうちてん

大規模自転車道地点

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遺跡群
篠ノ井遺跡群 
遺跡番号
E-⑤ 
種別
集落跡 
時代
縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世 
地区
篠ノ井 
所在
塩崎(東篠ノ井・上篠ノ井・庄ノ宮・平久保・山崎 
調査年度
1979 
報告書
篠ノ井遺跡群
地図

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解説
 長野盆地を北流する千曲川では、篠ノ井塩崎から篠ノ井横田にかけて大規模な自然堤防の発達と広い後背湿地の形成がみられます。自然堤防上には集落が展開し、後背湿地には水田が広がるという風景は、遺跡の発掘調査によって弥生時代以来現在まで続いていることがわかっています。居住域として利用された自然堤防上には、上流側から塩崎遺跡群・篠ノ井遺跡群・横田遺跡群と遺跡が切れ目なく濃密に連続していることが知られています。これらの遺跡群は自然堤防を開削して千曲川に流れ込む聖川と岡田川という2本の河川によって便宜的に分けられていて、上流側の聖川で塩崎遺跡群と篠ノ井遺跡群に、下流側の岡田川で篠ノ井遺跡群と横田遺跡群に区分されています。つまり、篠ノ井遺跡群は篠ノ井地区の自然堤防上に展開する遺跡のうち、聖川と岡田川に挟まれた区域の遺跡の総称となります。
 千曲川の左岸堤防上には長野県によって広域の自転車専用道(サイクリングロード)の建設が計画されました。篠ノ井地区では篠ノ井遺跡群の範囲内に設置されることとなったため、高畑・堀ノ内地籍の長さ約300mの範囲について、昭和54年(1979年)12月1日から12月25日にかけて発掘調査が実施されました。この発掘調査について起因事業名を冠して「大規模自転車道地点」と呼称しています。
 大規模自転車道地点では、弥生時代・古墳時代・平安時代の住居跡、井戸跡、溝跡、墓が発掘されました。弥生時代は後期・箱清水式期の竪穴住居跡8軒が調査されました。続く古墳時代前期にも7軒の竪穴住居跡が確認され、弥生時代後期から古墳時代前期にかけて集落が形成されていたことがわかりました。また、古墳時代前期(後半代)には古墳(方形周溝墓)1基がみつかっています。近接する(主)長野上田線塩崎バイパス地点の調査では古墳時代前期から中期の古墳群が発掘されていて、同一古墳群を形成する1基と考えられます。古墳時代後期は竪穴住居跡2軒が発見されています。数が少なく、続く奈良時代の遺構がみられないことから、集落の中心部から外れた場所に該当すると考えられます。
 平安時代には竪穴住居跡13軒、土壙墓1基、溝7条のほか、平安時代以降中世の井戸8基が発見されました。発掘された竪穴住居跡13軒は調査区の大きさからすると多く、墓(土壙墓)もみつかっていることから当地点を含む周囲には大きな集落が形成されていたと考えられます。なお、仁和4年(888年)には大洪水(「仁和の大洪水」)が発生し、篠ノ井遺跡群の平安時代集落は壊滅的な被害を受けたことが分かっています。大規模自転車道地点の平安時代集落もすべて洪水以前であり、洪水以後は溝と井戸のみが確認される状況へと一変しています。自然災害によって集落が大きく場所を変えたと考えられます。 

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