しどうやまざきからねこせんちてん
市道山崎唐猫線地点
- 遺跡群
- 篠ノ井遺跡群
- 遺跡番号
- E-⑤
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世
- 地区
- 篠ノ井
- 所在
- 塩崎(東篠ノ井・上篠ノ井・庄ノ宮・平久保・山崎
- 調査年度
- 1988
- 報告書
- 篠ノ井遺跡群Ⅱ
- 地図
-
サイトが別ウィンドウで開きます。
「同意する」ボタンを押すと地図が表示されます。
- 解説
- 長野盆地を北流する千曲川では、篠ノ井塩崎から篠ノ井横田にかけて大規模な自然堤防の発達と広い後背湿地の形成がみられます。自然堤防上には集落が展開し、後背湿地には水田が広がるという風景は、遺跡の発掘調査によって弥生時代以来現在まで続いていることがわかっています。居住域として利用された自然堤防上には、上流側から塩崎遺跡群・篠ノ井遺跡群・横田遺跡群と遺跡が切れ目なく濃密に連続していることが知られています。これらの遺跡群は自然堤防を開削して千曲川に流れ込む聖川と岡田川という2本の河川によって便宜的に分けられていて、上流側の聖川で塩崎遺跡群と篠ノ井遺跡群に、下流側の岡田川で篠ノ井遺跡群と横田遺跡群に区分されています。つまり、篠ノ井遺跡群は篠ノ井地区の自然堤防上に展開する遺跡のうち、聖川と岡田川に挟まれた区域の遺跡の総称となります。
篠ノ井塩崎の軻良根古(からねこ)神社付近から山崎にかけて、ちょうど篠ノ井遺跡群の範囲を東西に横断するかたちで市道山崎唐猫線が通っています。この路線のうち、山崎・宗旨坊地籍の延長280mの区間について、道路拡幅が計画されました。このため、道路改良事業の実施に先立って、平成元年(1989年)1月30日から3月4日にかけて発掘調査が実施されました。この発掘調査について起因事業名を冠して「市道山崎唐猫線地点」地点と呼称しています。
市道山崎唐猫線地点では、竪穴住居跡17軒、土坑23基、溝跡5条ほかが検出され、縄文時代から平安時代にわたる長期の人的活動の痕跡が確認されました。縄文時代は前期(関山式)と晩期の土器片が出土しています。遺構の検出こそありませんでしたが、周辺に遺跡が存在している可能性が高いと考えられます。弥生時代は前期の土坑1基、後期・箱清水式期の竪穴住居跡2軒、土坑1基、溝跡1条が検出されました。特に後期の溝跡(6号溝)は、大量の土器が一括投棄された状況で出土していて、環濠の可能性が考えられています。古墳時代は竪穴住居跡4軒がみつかっていますが、いずれも前期に属します。奈良時代後半から平安時代にかけては、竪穴住居跡11軒、土坑21基、溝跡4条が検出されています。特に3号住居跡からは、硯(円面硯)や「長」の墨書を持つ土器、朱墨をとどめる土器片が出土しました。古代集落の中に文字を使用する人の存在が確認でき、役所などの公的機関や寺院が周辺にあった可能性が考えられています。