遺構詳細

Ⅹく108ごうじゅうきょあと

Ⅹ区108号住居跡

遺跡群
篠ノ井遺跡群 
遺跡・地点
(国補)主要地方道長野上田線地点 
時代・時期
古墳時代 
地区
篠ノ井 
所在
塩崎(東篠ノ井・上篠ノ井・庄ノ宮・平久保・山崎 
調査年度
1999~2005 
報告書
篠ノ井遺跡群(6)
地図

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解説
 複数の住居や土坑が重複していて不明な部分が多いですが、一辺4.5m程度を測る不整方形の竪穴住居跡と考えられます。北壁にはカマドが作られ、粘土を貼った床も確認されましたが、柱穴はみつかりませんでした。カマド付近からは土師器・須恵器が出土していて、平安時代の住居跡と考えられます。
 さて、当住居のほぼ中央部からは水晶製の三輪玉が1点出土しました。三輪玉(→「水晶製三輪玉の項を参照」)は古墳時代中期から後期(5~6世紀)に大刀の飾りとして使用された装飾品であり、ふつう装飾された大刀とともに古墳から出土します。さらに三輪玉で装飾された倭装大刀(わそうたち)はどの古墳からも出土がみられるような一般的なものではなく、これまで長野市内では出土事例がありません。これが平安時代の竪穴住居跡から単独でと、三輪玉としては異例の状況で出土しました。
 出土した際の状況を詳細に観察したところ、当住居跡を埋める土の上層から出土していて、のちの時代に土とともに偶然入り込んだもので、当住居とは直接関係がないと把握することができました。本来帰属していた遺構は残念ながらわかりませんが、市内初となる三輪玉が少なくとも古墳ではない集落遺跡から出土していることは、篠ノ井遺跡群を評価する上で見過ごすことができません。
 この三輪玉出土の背景に迫る糸口として、108号住居跡のすぐ近くに位置する130号住居跡(平安時代)から銅地金張の耳環(じかん)が1点出土したことが注目されます。耳環は古墳埋葬者に装着する耳飾り(ピアス)で、ふつうは古墳から出土しますが、三輪玉同様に130号住居跡の埋め土内から出土しました。三輪玉や耳環というふつう古墳から出土する遺物が、竪穴住居跡の埋め土からひとつのみならず複数出土していることは、これらがもともと集落内に存在していて、竪穴住居跡の埋め土内に入り込んだとは考えづらい状況となります。竪穴住居群の周辺に、耳環を装着した人が埋葬されたり、三輪玉で飾られた大刀が副葬された古墳や古墳群があったとする方が素直な捉え方でしょう。篠ノ井遺跡群では、集落に近接した自然堤防上の古墳群が平安時代の集落に破壊されていることがすでに確認されていますので、三輪玉は耳環ともに古墳に由来する遺物であると理解してまず間違いはないと考えられます。
 篠ノ井遺跡群内には三輪玉で飾られた倭装大刀を副葬した古墳があった、この古墳に埋葬された被葬者がどんな人物であったのかなど興味は尽きませんが、古墳の構造も、大刀の形態もわからず、残念ながらこれ以上の探求は難しい状況です。 

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