きゅうおんだしげのぶけじゅうたくしゅおく・どぞう
旧恩田重信家住宅主屋・土蔵
- 指定区分
- 国登録有形文化財
- 地区
- 松代
- 所在
- 長野市松代町松代
- 年代
- 江戸後期
- 指定等年月日
- 平成26年4月25日
- 解説
- 松代町竹山町にある旧恩田重信家住宅は、明治薬科大学の創立者で薬学者の恩田重信(文久元年(1861)‐昭和22年(1947))の生家である。恩田家は松代藩の家臣であった。建物の建築年代は、江戸後期とされる。
主屋は、南北方向に棟が通る建物の東側に東西方向に棟が通る建物の妻面がつながり、L字型の平面形態をしている。南北棟で桁行5間半梁間4間の主体部に、東西棟で台所等が附属する。主体部は茅葺で、内外ともに壁を漆喰で仕上げる。痕跡から西側の納戸部分はもと9尺幅の式台であったと考えられ、旧松代藩の武家住宅の特徴を伝えている。
土蔵は、主屋の東側に南北棟で建つ。桁行5.5m梁間5.6mの置屋根式の桟瓦葺(さんがわらぶき)で、西面に戸口を開き、下屋を設ける。江戸末期に薬草栽培が奨励されたため、その薬草を納める蔵として建てられたといわれている。木札墨書によれば、松代町内で3度の移築を経ており、建築当初は松代城の「桜の馬場」の東にあったと伝えられている。
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