- 解説
- 大室27号墳は「大室古墳群大室谷支群村東単位支群」と呼ばれるグループに属しています。大室谷支群は標高700m近い谷上部から標高350m付近の谷入口部に形成された扇状地にかけて古墳の分布がみられますが、谷入口部にまとまって分布する古墳を村東単位支群と呼称しています。27号墳はこの村東単位支群で最も古墳が密集する音無川右岸の標高371m付近の緩斜面に位置しています。
整備以前は南東側の墳丘が大きく削平されるなど改変が著しい状態でしたが、史跡整備事業に伴う発掘調査によって直径15.8mを測る円墳と復元されました。また、調査以前は「積石墳丘」の可能性が考えられていましたが、発掘調査の結果、盛土石を用いた「土石混合墳丘」であることがわかりました。
埋葬施設は大室古墳群では珍しく開口していませんが、墳丘の高さや墳丘の削平によって露出した石積みから無袖形の横穴式石室と考えられています。なお、史跡整備では埋葬施設の調査は行わずに墳丘の盛土保護を行っています。
出土遺物には土師器、須恵器、埴輪などがあります。須恵器は8世紀代、埴輪は29号墳や241号墳からの流入と考えられ、直接本墳に伴う遺物は多くはありません。ただし、土師器にはハケ状工具で整えられた底部穿孔壺かとみられる小破片があり、注目されます。大室古墳群大室谷支群では古墳時代後期後半に「底部穿孔壺」を使用するという全国的にも珍しい特徴がありますが、本墳もこの特徴を持つ古墳の一基であることがわかりました。
築造年代は出土遺物に恵まれず確かではありませんが、無袖形の横穴式石室を埋葬施設としていることや「底部穿孔壺」が使用された可能性が考えられることから、古墳時代後期後半の6世紀後半代の築造と考えられます。
参考文献
駒沢大学考古学研究室・長野市教育委員会 1981 『長野・大室古墳群-分布調査報告書-』
長野市・長野市教育委員会 2007 『国史跡大室古墳群 史跡整備事業にともなう遺構確認調査概要報告書-エントランスゾーンB~D区 遺構編-』
長野市教育委員会 2016 『史跡大室古墳群(4)』
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