- 解説
- ・善光寺鐘楼
善光寺本堂の南東に位置する鐘楼は、宝暦2年(1752)年に完成したが、弘化4年(1847)の善光寺地震で大破、嘉永6年(1853)に再建されたものである。切石積みの基壇上に吹き放し形式で6本の柱が立ち、平面形は桁行・梁間ともに5.7mの正方形で入母屋造の鐘楼である。大正15年(1926)に桟瓦葺から檜皮葺に葺き替えている。頭貫の木鼻には獅子が彫られ、軒は二軒扇垂木、中央の柱間に鐘釣梁を渡し梵鐘を吊るしている。平成26年(2014)の神域断層地震では、基壇の石積みが一部崩壊したが、木構造は被害を免れた。梵鐘は寛文7年(1667)鋳造で昭和18年(1926)に重要美術品に認定されている。雄大な本堂の近傍にあり、境内の一角を構成する。平成10年(1998)の長野冬季五輪では、善光寺の梵鐘が五輪の開催を告げた。
・善光寺仁王門
善光寺本堂の正面に伸びる参道上に南面して建つ。かつての仁王門は宝暦2年(1752)に建立されたが、弘化4年(1847)の善光寺地震の火災で焼失し、その後再建された先代の仁王門も明治24年(1891)の大火で焼失した。現在の仁王門は、大正7年(1918)に再建されたもので、昭和52年(1977)に瓦葺から銅板葺に変わっている。三間一戸八脚門で切妻造、正背面に軒唐破風を付す。柱上木鼻の正面を獅子、側面を獏、妻飾りを龍の彫刻で飾る。内部には仏像彫刻が安置され、正面側の両脇間に一対の仁王像、背面側には三宝荒神像と三面大黒天像がある。仁王像は仁王門再建の翌年の大正8年(1919)に完成し、安置されたもので、高村光雲とその門下である米村雲海の作である。
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