遺跡・地点詳細

まつしろじょうかまちあと

松代城下町跡

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遺跡番号
F-033 
種別
集落跡 
時代
近世・近代 
地区
松代 
所在
松代町松代 
調査年度
2001~2002
2002
2003
2004
2007
2011 
報告書
松代城下町跡 ~中木町・西木町・紺屋町~
松代城下町跡(2) ~殿町~
松代城下町跡(3) ~殿町~ 
参考資料
匠と技の考古学~原始・古代人たちの巧みな技術~
平成17年度市内遺跡の発掘調査
地図

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解説
 松代城下町の成立ははっきりしていませんが、永禄3(1560)年、松代城の前身である海津城の築城にともない人々が集住しはじめたと考えられています。元和8(1622)年に真田信之が上田から移封しました。松代藩の城下町は城の東から南にかけて広がり、城の周囲には上級藩士の屋敷があり、その南には中下級藩士の屋敷がありました。町人町は北国街道沿いに馬喰町・紙屋町・紺屋町・伊勢町・中町・荒神町・肴町・鍛冶町の「町八町」がありました。寺院は城下町の東に集中しています。
・町人の町-木町通りの調査-
 平成13・14(2001・2002)年、国道403号線(通称松代中央線木町通り)の改良工事に伴い、発掘調査が行われました。この調査では地下1m60㎝の深さまで発掘しました。その結果、近世初めから幕末・明治に至る城下町の遺構や遺物が発見され、5層の生活面が確認されました。また建物の基礎や火災・洪水の痕跡、水道である木樋や陶磁器や漆器椀・下駄・砥石など多種多様な遺物が良好な状態で発見されました。火災にあった店舗からは棚から落ちたかのように折り重なった陶器の皿が約50枚出土しました。また刀装具が集中して出土した地区は職人の住まいだったとされています。
・武士の屋敷―殿町―の調査
 平成15(2003)年に八十二銀行の新築(八十二銀行地点)、平成16(2004)年に長野松代総合病院の増築(松代病院地点)に伴い発掘調査が行われました。どちらも殿町と称される上級武家地で、銀行地点は江戸時代には恩田家の敷地でした。明治以降の遺構とその下層に江戸後期の火災にあった建物跡や池状遺構、石組溝・木組溝 など が見つかりました。病院地点は東が真田家、西が鎌原家であり、松代藩の家老を輩出する家柄でした。調査では江戸後期の屋敷境の溝や石組池状遺構が発見されました。
 

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