あさかわにしじょういせき
浅川西条遺跡
- 遺跡群
- 浅川扇状地遺跡群
- 遺跡番号
- A-037
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 古墳・奈良・平安
- 地区
- 浅川
- 所在
- 浅川西条神田
- 調査年度
- 1975
- 報告書
- 浅川西条
- 地図
-
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- 解説
- 浅川西条遺跡は長野市浅川地区の浅川西条地籍にある集落遺跡で、浅川扇状地の扇頂部に位置しています。平安時代末期から中世にかけての遺跡で、長野県住宅供給公社による10㌶の団地造成計画に伴い、分布調査を経て昭和50年(1975)に約25,000㎡の発掘調査が行なわれました。
遺構は竪穴住居跡21軒、井戸跡1基、土坑4基及び溝跡が確認されました。住居跡は標高に沿って上部、中部、下部の3つのグループに大別されます。上部集落群から下部集落群へ、時代とともに移り住んだものと考えられます。
遺物は杯形の土師器が大量に出土しました。また、灰釉陶器、緑釉陶器も出土しています。比べて須恵器の出土は少なく、この時代には須恵器はあまり使われなくなったと推察できます。特筆すべき遺物として、和鏡と紹聖元宝があげられます。いずれも住居跡から出土しており、遺構の時期を推定する重要な資料です。和鏡は直径9.3㎝の白銅製の凸面鏡で、裏面には三種の網代文と1本の草木、2羽の鳥が配され、祭祀に用いられた可能性が高いと考えられます。また、縄文時代の石棒がカマドから出土していますか、本来の用途ではなく、転用されたものでしょう。
浅川西条遺跡を含む付近一帯は平安時代末期頃「証菩提院領若月庄」として文献にあらわれており、浅川西条遺跡は地域荘園開発の一端を担った人々が暮らしていた場所と想像できます。
なお、真夏の一ヶ月を費やしたこの遺跡の調査には多くの中高生が参加しました。参加者は顧問の先生を含め計10校145名に及びます。