- 解説
- 長野市若穂保科地区の、保科川扇状地の扇端部に立地する積石塚古墳群です。もともと保科川扇状地には70基近くの古墳があったといわれていますが、現在は5~6基から10基ほどのまとまりで長原古墳群・白塚古墳群などが残存しているにすぎません。
若穂団地造成工事に先だって実施された昭和42年(1967)の発掘調査は、長原古墳群の範囲ほぼすべてが発掘されました。直径10m、高さ2~3m前後の積石塚円墳が主体で、報告書によると土は全く用いられず石塊のみで積み上げられていました。埋葬主体部はすべて横穴式石室とみられており、築造時期は7世紀中頃以降、そして8世紀後半ごろまで追葬されていたものと考えられています。直径12m規模の7号墳からは須恵器の平底細頸壺が出土しており、形態のみ着目すれば朝鮮半島の百済地域で出土する瓶形土器を想起させます。現在は1・7・10・14・16号墳の5基が団地内の公園などに現状保存されています。
長原古墳群の消滅した古墳のなかにはニカゴ塚があります。金鎧山古墳の報文の中で略測図が示されており、2基併設された埋葬施設の内の1基です。写真を見る限り、長側壁として大型の板石をおそらく縦位に立て、天井石はその上端に載せられており、あえて韓国公州市の柿木洞1号墳例が形態的には類似するかもしれません。石室は大きくありませんが、横穴式石室又は横口式石槨状を呈する可能性が考えられます。
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