ぶんろくよねんなかひがのむらしもひがのむらごけんちちょう
文禄四年中氷鉋村下氷鉋村御検地帳
- 指定区分
- 市指定有形文化財
- 地区
- 更北
- 所在
- 長野市小島田町(長野市立博物館)
- 年代
- 1595年(文禄4年)
- 指定等年月日
- 昭和47年3月1日
- 地図
-
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- 解説
- 豊臣秀吉は文禄三年(1594)から新基準によって全国一斉の検地を行った。六尺三寸(約1.91m)四方を一歩(一坪)、三百歩を一反などとして面積を測り、枡は京枡に統一して収穫量を量った。
また、耕地一筆ごとに耕作人を名請人(貢租負担者)として登録、村を単位として石高(こくだか)を算出した。これらを記載したのが検地帳である。
当時北信濃は上杉景勝の領地で、秀吉はその領地の一部を重臣増田(ました)長盛に直接検地させている。氷鉋(ひがの)村の検地は文禄四年九月二十九日に行われ、担当役人は増田長盛の家臣 大橋才治だった。この検地帳は縦29.5㎝、横20.7㎝で、表紙も含め墨付十八枚のものである。
下(しも)氷鉋の「中ぼり」から書き始め、各筆の最上段から、小字名・田畑の位付け・縦横の長さ・面積・石高・名請人が記されている。いわゆる分析(ぶんづけ)として知行主の武士の名が肩書きされているところが多く、巻末には海津城将須田満親の黒印がある。
集計は田畑合わせて五十一町余、石高四百三十七石四斗二升となっている。屋敷地四十九坪のうち十七軒が失人(うせじん)(逃亡)などの理由で空き家になっており、戦乱による村の荒廃を物語っている。
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