指定文化財詳細

せきどう(かさぼとけ)

石幢(笠仏)

指定区分
市指定有形文化財 
地区
松代 
所在
長野市松代町東条 
年代
鎌倉時代初期 
指定等年月日
昭和42年11月1日
地図

サイトが別ウィンドウで開きます。
「同意する」ボタンを押すと地図が表示されます。

 

解説
 竹原集落の東端の畑の隅に立っており、古くから笠仏と呼ばれているが、何の因縁によるものかは全く不明である。
 伝えるところでは、明暦2年(1656)松代城主真田信之が家督を子信政に譲り、城北の柴村に館を建てて隠居したとき、この石幢(せきどう)を館の庭に移したが、たたりがあったため再びもとの場所に戻したという。
 基礎は75㎝四方、高さ16㎝の方形で、その上の塔身は一辺44.5㎝、高さ149.5㎝の方柱である。塔身の上には宝形造りの笠部を載せるが、笠部の一部と上の宝珠を欠失している。
 塔身の上部四面に、弥陀(みだ)(北)・釈迦(東)・薬師(南)・弥勒(みろく)(西)を半浮き彫りにしているが、弥陀は本来西方に位置すべきもので、この塔身は一向きずれている。また、この四仏(しぶつ)は顕教の四仏で、密教の四仏でない点が珍しい。
各仏は蓮華(れんげ)座に半跏(①はんか)趺座(ふざ)し、髪際(はっさい)は一文字で顔が丸く、体軀の肉取りも豊かである。ことに蓮華座の蓮弁を大きく粗く彫っているところなど、鎌倉時代も初葉にさかのぼるものであろう。
 これほどしっかりしたものは、信州ではほかに見られない。

 注①半跏(はんか)趺座(ふざ)・・仏像の座り方。結跏趺座(けっかふざ)が両足を交差させて組み、両足の甲をそれぞれ反対の股の上にのせるのに対し、半跏は一方の足だけのせる。 

この文化財を見た人は、ほかにもこの文化財を見ています。

石造宝篋印塔

石造多層塔

石造宝篋印塔

石造宝篋印塔

中越の庚申塔