指定文化財詳細

もくぞうだいにちにょらいざぞう もくぞうあみだにょらいざぞう もくぞうみろくぼさつざぞう

木造大日如来坐像 木造阿弥陀如来坐像 木造弥勒菩薩坐像

指定区分
市指定有形文化財 
地区
松代 
所在
長野市松代町豊栄 
年代
1507年(永正4年) 
指定等年月日
平成5年1月20日
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解説
 皆神山和合院は北信濃の修験道の中心だった。元和6年(1620)には和合院は信濃の本山派山伏の約4分の3をその支配下においた。この時の祝(山主)は小河原氏で、祝家吉(小河原供秀)のとき皆神山修験が隆盛になり、養子 内山満顕は侍従坊と称し、死後 侍従坊大天狗として祭られたという。
 侍従社は今も皆神山で最大の社殿であり、信仰の中心ともなっている。このように皆神山は修験道場として重要な山であったが、この3体の仏像はその本尊として歴史的にも重要である。
 大日如来は金剛界大日如来で宝冠をいただき智拳の印を結ぶ。阿弥陀如来は上品、上生の印相、弥勒菩薩は玉髻で定印を結ぶ。
 大日如来は像高32.8㎝、阿弥陀如来は像高34.3㎝、弥勒菩薩は像高32.1㎝である。
 3体とも偏衫を着け、その上に衲衣をつけ偏袒で右肩を隠した形であり神像に近い法衣である。3体は寄木造りで彩色されていたが、今はほとんど剥落している。
 3体の台座天板には墨書銘があり、弥勒(①)2年(永正4年・1507)祝家吉・同下野守が当郷安穏、繁盛のため造立したと記されており、上記のように当時を知る上でも貴重な仏像である。

注① 弥勒2年・・「弥勒」は私年号であり、弥勒元年は永正3年にあたる。戦乱、災害等に苦しむ民衆の間に弥勒信仰が広まり、弥勒仏に救いを求める気持ちから、弥勒という私年号を使用したのだろうと考えられている。