とがくしさんけんこうじるきならびにじょ
戸隠山顕光寺流記并序
- 指定区分
- 県宝
- 地区
- 戸隠
- 所在
- 長野市戸隠神社
- 年代
- 室町時代中期
- 指定等年月日
- 平成7年2月16日
- 地図
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- 解説
- 戸隠山顕光寺の縁起などに関する古文書。長さは949.0cm(本紙884.0cm)、幅33.8cm。奥書には、僧有通が長禄2年(1458)、諸家に散在する戸隠山流記の一様でないことを憂い、多くの類本を取捨して編述し、法林房定与の書写したものであることが記されている。戸隠山顕光寺は山岳信仰の修行の場として、古代から中世、近世へとその勢力を拡張した。しかし明治初年の廃仏毀釈の際に、本寺は廃絶するところとなり、本寺を中心として戸隠山の各院に祀られていた、長野県にとって貴重な密教文化にかかわる仏像・仏画・仏具、さらに教典・古記録類などのほとんどが散逸してしまった。戸隠山関係の縁起として、比叡山の僧極楽房承澄の撰になる『阿娑縛抄』228巻のうち諸寺略記が、最古の記録と知られているが、本巻はこれに次ぐものと考えられよう。装飾を施した本巻の料紙は、室町時代中期の特徴をよく示し、また穏和で筆力を内に秘めた和様の書体は、最初から最後まで一貫しており奥書に記されているように、室町時代中期に法林房定与が認(したた)めたものと見て間違いない。
戸隠山の草創の縁起を知る上で、また古代信濃への天台密教の普及の歴史をひもとく上でも大変貴重な遺例といえる。