指定文化財詳細

とがくしじんじゃしんこういせき

戸隠神社信仰遺跡

指定区分
県指定記念物 
地区
戸隠 
所在
長野市戸隠中社・奥社・宝光社 
年代
平安-江戸時代 
指定等年月日
昭和54年3月22日
地図

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解説
 戸隠神社は、奥社・中社・宝光社の三社からなる。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていた。その歴史は古く、縁起によれば、嘉祥2年(849)頃、学問行者により戸隠寺(奥院)が開かれたといわれる。その後200余年を経て康平年間(1058頃)に宝光院が、さらに寛治年間(1087頃)に中院がそれぞれ開かれたと伝えられている。明治のはじめの神仏分離令を機に、奥院・中院・宝光院の名称をそれぞれ奥社・中社・宝光社と改めた。また戦国時代には、戸隠は武田・上杉の争乱に巻き込まれた。危難を避けるため、衆徒らは30kmほど離れた筏が峯(現小川村)に移り、その後30年ほどして戸隠に帰山した。この筏が峯の三院跡(奥院跡・中院跡・宝光院跡)にも戸隠修験の旧態がよく保存されている。これら山岳信仰の歴史を今に伝える奥社・中社・宝光社及び筏が峯三院跡が、戸隠神社信仰遺跡として県史跡に指定されている。