むればいぱすDちてんいせき
牟礼バイパスD地点遺跡
- 遺跡番号
- A-079
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 弥生・古墳・平安
- 地区
- 若槻
- 所在
- 上野 村西
- 調査年度
- 1984~1985
- 報告書
- 牟礼バイパスB・C・D地点遺跡
- 地図
-
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- 解説
- 三登山と若槻・豊野丘陵の間に形成された土京川の小規模扇状地上に立地する遺跡です。主要地方道長野荒瀬原線(牟礼バイパス)の建設に伴い昭和59年(1984)から昭和60年(1985)まで調査が行われ、弥生時代から平安時代にいたる集落を確認しました。検出した竪穴住居跡の時期別内訳は、弥生時代中期4軒、古墳時代前期2軒、平安時代11軒となっており、平安時代に集落規模がもっとも拡大したことがうかがえます。
弥生時代中期の住居跡からは、栗林式土器の良好な一括資料が出土しています。これらの土器は栗林式土器編年の最古段階に位置づけられており、栗林式土器の発生を探るうえで重要な資料となっています。
平安時代の住居跡からは軒平瓦を含む多量の瓦片が土師器・須恵器・灰釉陶器などとともに出土し注目されます。瓦当文様のわかる軒平瓦は5点で、いずれも同笵の偏行唐草文です。同じ軒平瓦は善光寺境内からも出土しており、いわゆる「善光寺瓦」(凸鋸歯文縁複弁八弁蓮華文軒丸瓦)と組で古代善光寺で使用されていたと考えられています。出土遺構との関連性は明らかではありませんが、本遺跡の周辺には古代に瓦が生産されていたとみられる田中窯や東沢窯があり、関連性が指摘されています。
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