なかまたいせき
中俣遺跡
- 遺跡群
- 小島・柳原遺跡群
- 遺跡番号
- B-004
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 弥生・古墳
- 地区
- 柳原
- 所在
- 柳原(中俣)
- 調査年度
- 1988~1989
1991
1995
2006
- 地図
-
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- 解説
- 柳原地区の千曲川の自然堤防上には、いろいろな年代の遺跡が広がり、「小島・柳原遺跡群」と呼ばれています。その中の一つ、中俣遺跡は柳原小学校東側の中俣地区にあります。
昭和63(1988)年・平成元(1989)年に、中俣地区土地区画整理事業に伴う発掘調査により弥生時代中期から古墳時代前期の集落が見つかっています。その後の調査により中俣遺跡が弥生時代中期から古墳時代後期の集落であることがわかりました。
弥生時代中期後半には多くの住居跡が見つかり、大規模な集落が広がっていたことがわかりました。見つかった石器には、未完成のものや製作過程で発生した剥片などが多く含まれています。それらの材料には比較的手に入りやすく加工のし易い石が使われており、当時の集落内で石器作りが行われていた可能性があると考えられます。
弥生時代後期から古墳時代にかけての集落も見つかっており、北陸地方や東海地方の影響を示す多くの外来系土器が見つかりました。また集落の南端にある13号溝跡は環濠の一部となる可能性があります。その他、平成7(1995)年に調査した方形周溝墓からは、ふだんの生活用ではない土器が見つかっており、何らかの祭祀に使われたと考えられます。
調査結果からは、千曲川氾濫原の微高地上に複数個所に分かれて住居跡が作られていたことがうかがえます。拠点となる集落はその周辺に広がる水田によって、大規模に営まれていたと考えられます。千曲川を中心に、他の長野市内の集落や北陸・東海地方など他地域との交流が盛んに行われていたようすが想像できます。