みのちましますいちげんじんじゃいせき
水内坐一元神社遺跡
- 遺跡群
- 小島・柳原遺跡群
- 遺跡番号
- B-003
- 種別
- 集落跡
- 時代
- 弥生・古墳・奈良・平安
- 地区
- 柳原
- 所在
- 小島 土井堰南ほか
- 調査年度
- 1974
1996
2003~2004
2005
2007
- 地図
-
サイトが別ウィンドウで開きます。
「同意する」ボタンを押すと地図が表示されます。
- 解説
- 柳原地区の千曲川の自然堤防上には、いろいろな年代の遺跡が広がり、「小島・柳原遺跡群」と呼ばれています。そのうち、水内坐一元神社と柳原小学校を中心とした辺りに水内坐一元神社遺跡があります。遺跡の東側を流れる北八幡川は裾花川の旧流路のひとつといわれ、その他にも埋没した旧河川が複雑な地形を形成しているようですが、住居跡などは自然堤防上の微高地を中心に見つかっています。
昭和49(1974)年長野市立柳原小学校校舎移転新築事業に伴う発掘調査では、弥生時代中期後半・後期初頭、古墳時代中期の住居跡と平安時代の柱穴群が見つかりました。平成8(1996)年の柳原市民体育館建設事業に伴う発掘調査では、弥生時代後期末の環濠の一部が検出されました。環濠は一部2重にめぐらされており、環濠内部には同時期の住居跡が5軒検出されています。出土した土器は、在地系の土器の他、北陸系や東海系の土器も見つかりました。また、環濠内からは木製盾、武器形木製品(槍)、弓、農具等の木製品が多数出土しています。木製盾と武器形木製品については、祭祀に使われたものと考えられます。
平成15~19(2003~2007)年にかけて行われた発掘調査では、埋没した河川跡が見つかりました。調査の結果、弥生時代後期まで機能していたことがわかりました。弥生時代後期には旧河川の南側に環濠集落、北側に方形周溝墓が10基が見つかっています。旧河川を挟み、南側を居住域、北側を墓域として利用していたと考えられます。その後、古墳時代になると旧河川の埋没と湿地化が進み、集落の規模が縮小していきます。また、遺跡内からは奈良時代から平安時代の溝跡が検出されており、一帯を水田域として開発したと考えられます。
現在、出土した木製盾のレプリカが長野市立博物館に展示されています。