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銅造地蔵菩薩坐像
- 指定区分
- 重要美術品
- 地区
- 長野
- 所在
- 長野市大字長野元善町
- 年代
- 享保7(1722)
- 指定等年月日
- 昭和20年8月3日
- 地図
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- 解説
- 善光寺三門の下にあり、石畳の東側に西を向いて座している。もとは少し南の駒返り橋寄り、六地蔵の南にあったが、明治6年(1873)に経蔵の西に移され、さらに同27年5月(1894)に現在地に移された。
銅造で像高268㎝、膝(ひざ)張り214㎝、蓮華座の高さ91㎝、石台座の高さは179㎝である。
享保7年(1722)、水内郡普光寺(ふこうじ)村(現飯綱町)の法誉円信という真宗の僧が、国々の霊地を巡拝して法華経66巻を奉納して歩く巡礼(日本回国六十六部供養)が完了したのを記念して造立奉納したものである。
台座正面に「日本廻国六十六部供養願主当所東町法蓮寺弟子 当国水内郡普光寺村 法誉円信 江戸神田鍛冶町 御鋳物師河合兵部藤原周徳 同石町三丁目 大仏師高橋大学」陰刻がある。続いて大施主上州群馬郡古市村黒崎喜平次吉英以下、大勢の施主の名が刻まれているが、上州の人がいちばん多い。
面相は彫りが浅く柔和で、江戸時代中期としては鋳造技術も優れている。弘化大地震(善光寺地震=1847)までは上に覆屋があり、明治8年(1875)にも覆屋が再建されたが、現在地に移転後は露座になった。このため「ぬれ仏」と通称されている。
また、この像については、八百屋お七の供養のために造られたという説もあるが俗説であって史実ではない。
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