指定文化財詳細

つましなこうしんこうにんべつちょうおよびようぐいっしき

妻科庚申講人別帳及び用具一式

指定区分
市指定有形民俗文化財 
地区
更北 
所在
長野市小島田町(長野市立博物館) 
年代
1629年(寛永6年)~1953年(昭和28年) 
指定等年月日
昭和42年12月20日
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解説
 庚申信仰は、陰暦で六十日に一度、一年に六回めぐってくる庚申の日に行う講儀礼である。
 中国の道教書(抱朴子(ほうぼくし) ― 内篇微子)の中で、人間の体内にいる三尸(さんし)という虫が庚申の夜に体をぬけ出して天に上り、天帝に人の罪を告げるとされており、それによって天帝に命を縮められることのないようにと、この夜は徹夜するのである。
 妻科の庚申講中は十三人の講員で組織されるもので、次のような特徴がある。

① 庚申講会は一年に十二回庚申あたり月と申の日に開催する
② 庚申講、勤行の呪(とな)え言は南無阿弥陀仏を全員で唱和する
③ 大師講(納め庚申)には朝から頭屋に集合、入浴潔斎して、餅つき、精進料理、煎(い)り豆などを作る
④ 庚申講人別帳(講員共有記録)は、寛永六年(1629)正月から昭和二十八年十二月までの記録
④については、一年ごとに一枚の和紙を使った筆記録で、毎月の当番順に講員の氏名を記し、その周囲の余白に一年間の重大事項をまとめて記入している。この記録は庚申信仰誌としては我が国で最古のものとされている。

 善光寺をはさんで、妻科・中越の両翼地域にこのような民間信仰集団が現存することは、当文化圏の深大さを示すものといえよう。