せいすいじのにおうもん・さんじゅうのとう・だいにちどうあと
清水寺の仁王門・三重塔・大日堂跡
- 指定区分
- 市指定記念物
- 地区
- 若穂
- 所在
- 長野市若穂保科
- 年代
- 鎌倉時代中期~江戸時代初期
- 指定等年月日
- 昭和42年11月1日
- 地図
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- 解説
- 清水寺は観音山の谷間にある真言宗の寺である。保科観音とも呼ばれ、牡丹の多いことで知られており、その創建は征夷大将軍・坂上田村麻呂によるものと伝えられる。
珍しく堂塔をそろえた寺で、総門・鐘楼・本堂・庫裏(くり)を備え、仁王門から観音堂(奥院)に至る参道の両側には経蔵・三重塔・大日堂・釈迦堂・薬師堂・八将社があったが、これらの諸堂は大正5年の火災ですべて焼失した。
かつての大日堂は鎌倉時代中期に建てられたものである。単層で、桁行(けたゆき)五間、梁間(はりま)五間、屋根は寄せ棟造り茅葺(かやぶき)だった。跡には大部分の礎石が当時の位置に整然と残っている。
また三重塔は同時代末の建築で、三間三層、屋根はこけら葺きとした。その跡に一辺8.87mの方形の基壇と、その上に外側柱・塔内四天柱の礎石が見られ、基壇上の周囲に敷かれた切石や、内部に四半敷にしてあった切石もそのまま残る。
仁王門は江戸時代初期に建てられた三間二面の建物で、12個の礎石と基壇四面の列石が跡に残っている。
このほかに経蔵・釈迦堂・観音堂などの跡も明らかで、保科清水寺が栄えた往時の姿をしのぶことができる。
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