まめじまくゆうもんじょ
大豆島区有文書
- 指定区分
- 市指定有形文化財
- 地区
- 更北
- 所在
- 長野市小島田町(長野市立博物館)
- 年代
- 1618年(元和4年)
- 指定等年月日
- 昭和55年6月2日
- 地図
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- 解説
- この文書は松平忠輝が高田城主だったとき、重臣の松平信直が大豆島(まめじま)村に与えたサケ(鮭)の「打切(うちきり)」を命じたもので、花井吉成や大久保長安の署名も見られる貴重な文書である。酒井忠勝の文書は元和四年(1618)、松代城主着任直後に出した黒印状で、サケ10本に対して4本を上納せよと記されている。
「打切」とは岸から川の中へ杭を立て連ね、これに竹簀(たけす)を渡し、その簀の下に「ツヅ」という竹製の筒のようなものをしかけることである。通い舟の通路だけは開けておくが、川を切って仕掛けを作るので「打切」という。
打ち切りした岸には仮小屋を造り、七月から十二月までサケ漁をしたという。
信濃川では河口を一番として十五番まで「打切」があり、川には厳重な境めが設けられていた。
サケは川で生まれると海に下り、再び川に帰る習性がある。信濃川では昭和十一年に西大滝ダムができたことによってサケの遡上(そじょう)が衰退したが、現在は積極的に稚魚の放流が行われており、その成果が期待されている。
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