指定文化財詳細

きゅうよこたけじゅうたくおもや・おもてもん・いんきょや・どぞう2とう

旧横田家住宅主屋・表門・隠居屋・土蔵2棟

指定区分
重要文化財 
地区
松代 
所在
長野市松代町松代 
年代
江戸時代(18世紀末頃) 
指定等年月日
昭和61年1月22日
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解説
 旧松代藩士横田家は禄高150石の中級藩士で、郡奉行などを務めた家である。最後の甚五左衛門は表御用人だった。
 この住宅は他の藩士宅と同様、一種の公舎で、面積3,340㎡の敷地に主屋・表門・隠居屋・土蔵(2棟)の5棟が建ち、18世紀末ごろの建築と考えられる。
 主屋は桁行17.1m、梁間9.7m、寄棟造り、茅葺(かやぶき)で、北側に寄棟の玄関が付き、南側にも突出部がある。主屋の東側に寄棟、茅葺きの隠居屋が付属しているが、これはのちに増築したものである。
 表門は桁行16.4m、梁間6.3mの長屋門で切妻造り、桟瓦葺(さんがわらぶき)とし、門の左右の長屋に窓が付く。
 昭和63年から平成3年にかけて解体修理が行われ、中級武士の屋敷としてほぼ完全に保存されている点で貴重である。
 なお、横田家から出た秀雄は大審院長に、その子正俊は最高裁長官になり、二代続いて裁判官の最高の地位についた。
そのほか秀雄の弟謙治郎(小松)は鉄道大臣となり、姉の和田英子は「富岡日記」の著者として有名で、多くの秀才を生んだ家である。