しょうがんじかんのんどうさんがく
松巖寺観音堂算額
- 指定区分
- 市指定有形文化財
- 地区
- 鬼無里
- 所在
- 長野市鬼無里町
- 年代
- 江戸時代、1839年(天保10)
- 指定等年月日
- 平成17年1月1日
- 地図
-
サイトが別ウィンドウで開きます。
「同意する」ボタンを押すと地図が表示されます。
- 解説
- 和算は、江戸時代に我が国独自で発達した数学である。算額は優れた数学の問題を考え出した時や難問を解いたときなどに、神仏に感謝する意味や広く人々に知らせる目的で神社仏閣に掲げられた。
寺島宗伴(1794~1884)は江戸時代後期の鬼無里が生んだ和算家として知られている。宗伴は現在の長野市鬼無里に生まれ、宮城流・最上流の和算を修めたほか、町見術(測量術)も学び、大きな功績を残した。著書には、無限級数の和の極限を求める問題や円理の算法を記した『算法求積極伝』(1857)や、西洋の数学を研究した『西洋八算見一之割』(1875)などがある。
この算額は、宗伴の門人6人が師匠の功績を称えるため、天保10年(1839)に奉納したものである。大きさは縦55cm、横195cmである。算額には、門人らの名前とともに彼らが作った問題と答え、問題の解き方が記されている。