おおつかこふん
大塚古墳
- 指定区分
- 市指定記念物
- 地区
- 信更
- 所在
- 長野市信更町田野口
- 年代
- 5世紀中葉(古墳時代中期か?)
- 指定等年月日
- 昭和44年9月10日
- 地図
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- 解説
- 大塚古墳のある信田(のぶた)地帯は、古代社会において特異な地域だったと思われる。
この時期のほとんどの集落や生産の舞台が千曲川沖積地だったのに対し、信田地帯は山地にあって、水田があったと考えられるのは、聖山から北に走る聖沢の細長い平地だけなのである。
田野口の大塚古墳は、こうした山地のなだらかな丘陵の頂上にあり、この地帯の主墳的な役割をもつものとして注目される。
前方後方墳であるのがこの古墳の大きな特徴で、全長は39m。後方部は一辺およそ25m、高さ4m、前方部は長さ14m、幅9m、高さ2mである。後方部は上部が円形で下部が方形と思われる。内部構造は明らかでないが、墳頂の盗掘坑と思われるくぼ地には礫石の混入がないので、あるいは粘土槨(かく)だったとも考えられる。また、遺物は全く残されていない。
この規模は長野県では大きな例に入るが、特殊な地帯での特異な墳形・内部主体からみて、年代は五世紀中葉を下らないと考えられる。
この地帯の古代史における役割も注目されるものである。